着物日記

着物の日記

続・着物の歴史を身につけよう

古墳時代

古墳時代になったころ、大和朝廷によって大陸と交流がさかんになって中国とか他国の影響があったみたいです。

女子は中国の模倣をして筒袖の打ちあわせした上衣に、スカートのみたいな韓国のチョゴリに似た衣裳を着て、男子は同じく筒袖の打ちあわせした上衣にズボンみたいなやつを足結と言って膝らへんをヒモでしばった衣褌を着てました。
この時男子も女子も打ち合わせは今とは逆で左前にあったみたい。

これらは埴輪からしることができます。
この時代には養蚕も盛んでした。

 

奈良時代

奈良時代は遣隋使、遣唐使によってさまざまな分野の中国のものが入ってきました。

飛鳥時代には聖徳太子によって冠位十二階がつくられて、官吏の位階を十二階に分けて位により冠と衣服の色が定められました。

また奈良時代には礼服、朝服、制服を位によって三分類する三公服がつくられました。
衣服は衿を立てたコートみたいな袍形式といわれるものが、支配者階級の服装として男子は衣に袴、女子は衣に裙みたいなのを着てました。

さらに、褶というのを裳や袴の上からつけていました。

奈良時代には今までの左前の打ちあわせから、今の右前の打ち合わせにあらためられたみたい。
袍形式というのは、装束を構成する前開きのガウンみたいな表着のことを袍といってそれを着た形式です。

 

平安時代

平安時代には遣唐使が廃止されて、だんだん日本独自の服装に変わっていったみたいです。

男子は朝服から束帯、女子は唐衣裳装束、女房装束といわれる晴装束ばかりを公家が着用していたみたいです。
束帯、唐衣裳装束ともに、袖部分は袖口の下をぬわない大袖をつかって、これは今の産着、長襦袢などにつかわれる袖の形のひとつで、現在和服用語では広袖ともいいます。とくに女の唐衣裳装束の下に着た下着を白小袖と呼んだみたいですよ。
平安時代は京都の風土の影響とか宮廷文化の進化によって特徴がある装束もありますよ。

 

さいごに

続編があるかもしれません